August 15, 2008
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sakstyle:
文芸評論や(作品の)批評というのは、一体何なのか。作品を解釈ないし解読すること。また、その解読方法を提示すること。この解読方法のことが、批評理論と呼ばれる。解読方法には色々ある。また、解読にとどまらず、価値づけることもある。 [http://twitter.com/sakstyle/statuses/880256105]
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sakstyle:
。o ○(断言調でポストしていくけど、それが気にくわない人は、「~だと僕は思う」を語尾につけて語気緩和をはかってください) [http://twitter.com/sakstyle/statuses/880256891]
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sakstyle:
「文学性」とかいうのは、解読方法の理論・体系の中にある価値語。しかし、どの理論を使うかで、意味は異なってくる。 [http://twitter.com/sakstyle/statuses/880257566]
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sakstyle:
個々の作品の解読にととまらず、解読方法の理論を作り上げたり、鍛え上げたりしていくのが、批評の醍醐味(?)。ある批評が、すごいと思われるのは、その解読方法を使うことで、新しい、切れ味のある解読が可能になるとき。そういう方法論がないと、単なる感想。 [http://twitter.com/sakstyle/statuses/880259332]
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sakstyle:
問題は、何故批評なんてするのか、ということ。つまり、そもそも作品を解読するというのは、一体どういうことであるのか。 [http://twitter.com/sakstyle/statuses/880260625]
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sakstyle:
1つには、面白い(あるいはつまらない)作品の面白さを分析すること。分析することによって、他の作品が面白いかどうかの判断に役立てる、「面白い」ということの理解を深める、同じ1つの作品で何度も面白さを味わう、といったことが可能になる [http://twitter.com/sakstyle/statuses/880261957]
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sakstyle:
また、個々の作品の理解だけでなく、文学とか小説とか物語とかフィクションとかの理解を深めるために行われる。多分、ナラトロジーとかがそう。 [http://twitter.com/sakstyle/statuses/880262836]
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sakstyle:
ナラトロジーという解読方法を使うと、作品の構成要素とかそれがどう繋がっているかとかが分かるし、個々の作品とかも分類もできる。ただし、それを繰り替えしていると、単なるパズルのようになっていく。 [http://twitter.com/sakstyle/statuses/880263629]
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sakstyle:
批評が、個々の作品の解読(価値付け)と、解読方法の二つからなっているとして、以上の二つは前者を重視したもの、後者を重視する場合もありうる。 [http://twitter.com/sakstyle/statuses/880264365]
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sakstyle:
何故作品を解読するのか。作品を解読することによって、そこから、「どう生きればいいのか」というロールモデルを見いだす、現代社会の問題点を見いだす、といったことがありうる。文芸評論とか批評とかって、むしろこういうものかも。 [http://twitter.com/sakstyle/statuses/880265349]
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sakstyle:
しかし、作品というのは基本的にはフィクションなので、そこから直接「現実」が見いだされるわけではない。そのために、解読が必要になるのであり、解読方法(理論)が重要となる。 [http://twitter.com/sakstyle/statuses/880266051]
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sakstyle:
それで、現代社会をよく反映しているか、とか、ポストモダン社会にかなった生き方モデルを提示しているか、とかが、作品の解読と価値付けの規準として用いられたりする。 [http://twitter.com/sakstyle/statuses/880266657]
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sakstyle:
芸術として、表現として、どのように優れているのか、新しいのか、ということを解読と価値付けの規準とする場合もある。この場合、「文体」とか「文学的」とかいった価値語が使われやすい。 [http://twitter.com/sakstyle/statuses/880267643]
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sakstyle:
というわけで、何故作品を批評するのか、という問いに対しては、以上に挙げたように、大雑把に3つか4つくらいの答えがある。そして、それらに応じて、解読方法(理論)がたくさんある。 [http://twitter.com/sakstyle/statuses/880268979]
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sakstyle:
1つの解読方法(理論)に基づいて、個々の作品を解読したり価値付けていったりすることは簡単であるが、解読方法(理論)そのものを分析したり価値付けていったりすることは果たしてどうだろうか。目的の違いなども考慮しなければならない。 [http://twitter.com/sakstyle/statuses/880269906]
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sakstyle:
批評の批評も、批評であるならば、批評という行為は一気にその複雑さを増す。批評とは一体何か、何故批評するのか、というのはよく分からなくなっていく。 [http://twitter.com/sakstyle/statuses/880271724]
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sakstyle:
そもそも、何故○○をするのか、という問い自体が、結構不毛なもののようにも思えたりするのだけど [http://twitter.com/sakstyle/statuses/880271883]
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Entelecheia:
@sakstyle さんのはなしから思いついたことを書きます。あまり関連性はないかも。ジョナサン・カラーの「文学理論」に、あるテクストに「理論」を適応するということは、その「理論」がそのテクストに適応可能か検証する作業自体なのだ、と書いてあった [http://twitter.com/Entelecheia/statuses/880294622]
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Entelecheia:
これを読んで思ったことは、「批評」は文学作品にハンドルするためのツール(あるいはその産出結果)というニュアンスがつよいけれども、「理論」はそれ自体独立した知の体系だということです。ただし、"文学"作品とはすくなくとも位相が違っていいる [http://twitter.com/Entelecheia/statuses/880295290]
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Entelecheia:
で、その位相の違いがふたつの体系の「すりあわせ」「適応」の余地を生んでいるのかもしれない(ウィキペディアにちょっと関連情報が http://tinyurl.com/yqnd9u [http://twitter.com/Entelecheia/statuses/880295730]
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Entelecheia:
で、その位相の違いがふたつの体系の「すりあわせ」「適応」の余地を生んでいるのかもしれない(ウィキペディアにちょっと関連情報が http://tinyurl.com/yqnd9u [http://twitter.com/Entelecheia/statuses/880295730]
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Entelecheia:
ということは、文学作品も理論もそれぞれ差異の体系を作っていて、それらを分類する作業とともに、なぜそのような位相差がうまれるのか、考える余地があるかもしれない。 [http://twitter.com/Entelecheia/statuses/880296103]
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Entelecheia:
そのような地点から、ハンドルありきの「批評」と独立した体系たる「理論」の差を考えたらどうなるだろう。たぶん、差異の体系をつくるさいの単位の違いが抽出できるかもしれない。「理論」は方法論によって差異化し、「批評」は主体のパフォーマティヴィティのようなもので差異化するというか。 [http://twitter.com/Entelecheia/statuses/880296344]
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Entelecheia:
「批評」のイメージは江藤淳から大塚英志、仲俣暁生へ、という系譜で、ここではあきらかに方法論よりもポジショニングのほうがミーム化されている気がする。でも、方法論にも近代/反近代といったポジショニングがありえる以上、やはり位相の差というのがすっきりする。 [http://twitter.com/Entelecheia/statuses/880296687]
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Entelecheia:
「読解」「研究」「分析」とか、いろいろ言葉があって混乱します。でも、これらはどちらかというと一般的な行為というかんじ。とりあえずフランクフルターっぽい「批評」と、構築主義っぽい「理論」が、来歴があって使いやすそう。いま考えたのはここまで~ [http://twitter.com/Entelecheia/statuses/880297200]
3 years ago
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