August 15, 2008

人格同一性について(?)

  • sakstyle: 人格の同一性の話に対して、やっと自分なりになにか言えるような気がしてきたので、話す。 [http://twitter.com/sakstyle/statuses/879193514]
  • sakstyle: 人格の同一性の話は面白そうでいて、何か違和感を覚えていたのだけど、それは、人格というものが性質であって存在者ではないから、ではないかと。 [http://twitter.com/sakstyle/statuses/879194192]
  • sakstyle: 性質の同一性というのも、何かと問題がありそうだけどちょっとおいておく。同一性というのも、多分性質の一種だと思うので、基本的には、性質に関わるものではなくて存在者に関わるものだろう、と思う [http://twitter.com/sakstyle/statuses/879194877]
  • sakstyle: 人格同一性というのは、人格の同一性、人格が同一かどうか、ということだと思うのだけど、むしろ、人格は人間にとって同一性の規準たりうるか、というふうに考えた方が分かりやすい気がする、というか、そういうふうに考えることで、自分の中で納得がいった [http://twitter.com/sakstyle/statuses/879197937]
  • sakstyle: つまり、「人格は同一かどうか」という問いは、何を問うているのかよく分からない。そもそも、「人格」って何? って感じだし。 [http://twitter.com/sakstyle/statuses/879198699]
  • sakstyle: 「同一の人格を有していることが、存在の同一性の規準たりうるか」というふうにすると、分かる。もっとも、そもそもにおいてそういう話をしていたのだろうなあとは思うんだけど、そこに思い至らなかったので、なかなかピンと来なかった [http://twitter.com/sakstyle/statuses/879199599]
  • sakstyle: しかし、このように整理すると、結局、自分としては、いつもと同じ話だなあと思う。ラッセルかクリプキか、みたいな [http://twitter.com/sakstyle/statuses/879199999]
  • sakstyle: つまり、存在者を性質の束へと解体しうるのであれば(ラッセル的)、同一の人格(性質)を有することが存在者の同一性といいうる。……これって、不可識別者同一の原理?? [http://twitter.com/sakstyle/statuses/879201358]
  • sakstyle: そういえば人格の同一性の話に関して、 Suzu くんのエントリを読みながら思ったのだけど、完全なコピー人格が出来たときに、それの体験は一体どうなるのだろうか、と思った。色々なパターンがありうると思うので、それぞれのパターンに即して SF 小説がありそうだけど [http://twitter.com/sakstyle/statuses/879206540]
  • sakstyle: @SuzuTamaki が、例のエントリで述べていた恐怖というのは、1人の人間が1人格しか有さないというのをある程度の前提にしていると思う。 [http://twitter.com/sakstyle/statuses/879207087]
  • sakstyle: 1つの人格と1人の人間が対応するパターン、複数の人格と1人の人間が対応するパターン、そして1つの人格と複数の人間が対応するパターン。あ、なんか、これ、戯言シリーズにいた気がする [http://twitter.com/sakstyle/statuses/879209242]
  • sakstyle: 1つの人格と複数の人間が対応するパターンというのが、一番想像しにくいけれど、思考実験として十分にありうるだろうし、パーフィットの思考実験ってそういうふうに解釈してみると面白くなったりするんじゃないのか [http://twitter.com/sakstyle/statuses/879210692]
  • sakstyle: @SuzuTamaki のエントリは、「私」が、幸福な「私 a 」と不幸な「私 b 」に分裂してしまう分岐を前にした恐怖というのを論じていると思うのだけど、もし仮に、存在は分裂するが人格は決して分裂しないと考えてみると、その恐怖はあまりになくなると思う [http://twitter.com/sakstyle/statuses/879214363]
  • SuzuTamaki: @sakstyle パーフィットは分裂した人格が幸せならあなたは不幸でも幸せではないですか、と問う。それは二つの人格を上位の視点から眺めたときにのみ感覚できる幸福だ、と大澤は批判する。 *Tw* [http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/879214994]
  • SuzuTamaki: @sakstyle パーフィットが幸福じゃないですか、と問うときはまさにそういう事態を想定しているのだと思う。 *Tw* [http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/879215284]
  • sakstyle: @SuzuTamaki が考えるに値しないといった問題が、しかしそうなってくると、大きな問題となってくる。2人の人間を、1つの人格が統合出来ると考えるのであれば、そのうちの片方の人間の死は、その人格にとって半身を失うのに等しいはずだから。 [http://twitter.com/sakstyle/statuses/879215410]
  • SuzuTamaki: @sakstyle だけどパーフィットの思考実験に登場する人物は、明らかに分裂した先の人格の意識を有していない(ただし大澤の紹介の中では、なので実際に触れてみないとわからない)。これは複数の人格を見渡せる視点とは矛盾する。 *Tw* [http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/879216224]
  • SuzuTamaki: @SuzuTamaki ならばパーフィットはやっぱり、分裂した人格の意識は持てないと考えていたのではないか。そこから類推だけで分裂した人格が幸福なら自分も幸福だと感じるのはやはり無理がある、というのが大澤の批判ですね。私もそれに疑問を持つ道理はない。 *Tw* [http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/879216799]
  • sakstyle: @SuzuTamaki なるほど、そこでいうパーフィットの想定は、今僕がしている想定と同じだね。そして、大澤の批判は批判たりえない。もちろん、だからといってパーフィットの想定が正しいわけでもない [http://twitter.com/sakstyle/statuses/879216901]
  • sakstyle: 思考実験なので、色々なパターンが考えられる。そして、どのパタンが最も正しいかは、この場合、多分判定しようがない。実際に、そのテレポーテーション技術なりなんなりが実現化しないと、一体何が起きるか分からないわけで [http://twitter.com/sakstyle/statuses/879217365]
  • SuzuTamaki: @sakstyle つまり、過去の自分とは今ここにある私とは別人だからそれが自分と一緒かどうか、ということは別にどうでもいい、という僕の意見に対して、過去の自分と言うのはまぎれもなく私の半身としてあるのだから、それが同一なのかどうかというのは重要になってくる、ということですか? *Tw* [http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/879218025]
  • SuzuTamaki: しかし一人の人間は二つの人格を有する(想像は決してできない事態だけれど)というのと、過去の自分を自分と *Tw* [http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/879219433]
  • SuzuTamaki: 過去の自分を自分と認識するのとでは、果たして同じ感覚なのか。 *Tw* [http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/879219566]
  • SuzuTamaki: 「係員の話によるとわたしの分身が火星に生まれたらしい。実際に火星のわたしが火星の様子を伝えてくれる。その行動はじつにわたしが取りそうな行動である。ならば火星のわたしはこのわたしの半身であり、わたしが死んでもわたしは幸福である」…果たして納得できるだろうか? *Tw* [http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/879220655]
  • SuzuTamaki: 火星に生まれたわたしが「あなたは間もなく死ぬ」と言われたとしよう。地球に留まっている元・わたしは生き残るという。ゆえに「あなたは決して不幸ではない」。果たしてそうだろうか? *Tw* [http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/879222216]
  • sakstyle: @SuzuTamaki なるほど、そう記述されているのね。じゃあ、俺が言おうとしたことは、そのパーフィットの想定とも異なる。もし、何もかもが「わたし」と全く同じ、「わたしの分身」が出来たとしたら、「わたし」と「わたしの分身」は人格を完全に共有するのではないかという想定をしてみたい [http://twitter.com/sakstyle/statuses/879222419]
  • sakstyle: @SuzuTamaki ここではやはり、人格という言葉がちょっと曖昧すぎるのが問題になってくる。人格というのは、果たしてどこからどこまで含むのか。多分、性格とか何だろうなあ。でも、もし仮に「私」と「私の分身」が全く同じだったら、知覚とかも共有する可能性があるのではないか、と思う [http://twitter.com/sakstyle/statuses/879223370]
  • SuzuTamaki: 技術によって、火星に生まれたわたしと地球に留まるわたしとの両方の意識を持つことはできる。ある意味それは錯覚だけれど。そうすれば消滅の恐怖は感じないだろう。事実消滅するかどうかはともかく。 *Tw* [http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/879223469]
  • sakstyle: @SuzuTamaki 1つの人格が複数の人間に対応する、といった時に考えていたのは、むしろ1つの魂が複数の肉体に宿る、と言い換えた方が、僕の想定が分かりやすくなる [http://twitter.com/sakstyle/statuses/879223750]
  • SuzuTamaki: しかしそれは、テレポーテーションしたうえで元の身体は意識するまでもなく破壊されています、と言われるのと同じ。どのみちひとつの人格にふたりぶんの意識が組み込まれているような想定とは異なる。 *Tw* [http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/879223762]
  • SuzuTamaki: 人格同一性のはなしで出てくる「人格」というのはまさにその「魂」、わたしの言葉でいえば「主観」、現象学の言葉でいえばマッハ的風景、デカルトの言葉で言えばコギトーでしょうね。 *Tw* [http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/879224584]
  • SuzuTamaki: 人格を記述(性質、性格)と取るか魂と取るかですでに立場が分かれる…というよりは、人格がいわゆる魂的なものであると前提したうえで、魂とは記述から独立して存在する実体なのか、それとも記述でしかありえないのかが問われるのでじゃ。 *Tw* [http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/879225304]
  • sakstyle: @SuzuTamaki 全くその通りで、そういう風に立場が分かれると思うけど、さらに他の分け方も出来ると思うので、さらに複雑 / 現象学の言葉だと、超越論的主観(主体?)とかじゃないのかなー。 [http://twitter.com/sakstyle/statuses/879226875]
  • sakstyle: 何から何まで全く同じ2人の人間がいたとする。というところから、話は始まっているんだと思う。その時にさて一体何が起こるのか、ということに関しては、誰にもわからないので、パーフィットの想定も大澤の想定も俺の想定も、正しさという点では五十歩百歩だと思う。思考実験だし [http://twitter.com/sakstyle/statuses/879228191]
  • sakstyle: 問題は、この「何から何まで全て同じの」「2人」というのが、それぞれ一体何を意味しているのか、ということで。その意味をどう捉えるかで、様々な想定が可能になってくる。パーフィット式、大澤式、 sak 式、 SUZU 式などね。 [http://twitter.com/sakstyle/statuses/879228869]
  • SuzuTamaki: そうですね、一般的に言ってマッハ的光景と超越論的主観性とは同一視していいでしょうね。 *Tw* [http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/879228892]
  • sakstyle: そうなると、思考実験って一体何のためにやるのだろうなあ、ということになってくるけど、概念を試すため、となるのかな。この場合は、「何から何まで全く同じ」という概念が実験にかけられている。 [http://twitter.com/sakstyle/statuses/879229703]
  • SuzuTamaki: 『これが現象学だ』では超越論的主観性をマッハ的光景から構成されたもの、あるいは構成すること、としているようにも読めるけれど同時に「超越論的主観性は風景である」というぼく自身のメモも残されているので多分マッハ的光景と同じ。 *Tw* [http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/879229791]
  • SuzuTamaki: @sakstyle 思考実験ってプラトン的ミュトスだと思うのです。つまり自分のためというより他人のため。誰かに説明するときのためのもの。だから不確実。つねに不確実。 *Tw* [http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/879230584]
  • SuzuTamaki: Suzu 的には主観は主観なのでつねにひとつです。そのなかに二つのなにかがあるとしたら、それらはともに他者です。というか数量的に表せるものはすべて他者。非わたし。 *Tw* [http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/879231522]
  • SuzuTamaki: だからわたしのなかにわたしと過去のわたしがある、なんていう想定は端的に間違っていて、それはウィトゲンシュタインが喝破したラッセルのなんとか理論と同程度の間違い。(客観的)現在のわたしと(客観的)過去のわたしとがある、ということはできるけどどっちも他者。 *Tw* [http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/879232474]
  • sakstyle: @SuzuTamaki 「マッハ的光景」って言葉は、『これが現象学だ』の用語であって、現象学での一般的な用語ではないような気がする。ググってみると一応4万件 hit するけど、2頁目からは「マッハ」と「光景」が分かれてるので、実質8件くらいしか hit してないし [http://twitter.com/sakstyle/statuses/879233195]
  • sakstyle: @SuzuTamaki 主観が1つでありながら、肉体が2つという想定も可能なのではないか、という提案をしてみているわけです。 [http://twitter.com/sakstyle/statuses/879234828]
  • sakstyle: @SuzuTamaki あともう一点。そもそも、他者であるのであれば、何故恐怖を感じるのか [http://twitter.com/sakstyle/statuses/879235074]
  • SuzuTamaki: @sakstyle どこから「二つ」なのか。たとえばわたしの身体は右手と左手とで分かれています。それもまた「二つ」なのではないか。そもそもなぜひとは右目と左目があるのか。視界が二つもあるとときたま不便に感じる。 *Tw* [http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/879235891]
  • SuzuTamaki: @sakstyle 他者に対する恐怖は何かと問われたらそれは不条理だからです。自分の思い通りにはならないから。だから逆に言えば自分の思い通りになる事柄だけがわたしです。ミュトスで言えば現実の女の子は他者だがゲームの中の彼女はわたしである、と。 *Tw* [http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/879236908]
  • sakstyle: @SuzuTamaki 恐怖の話からいうと、それはポール・ダラムにまつわる恐怖とどう繋がるのか、ということを聞きたいわけで [http://twitter.com/sakstyle/statuses/879237759]
  • sakstyle: @SuzuTamaki 「二つ」に関しては、まさにそういうこと。僕たち人間は、後ろにも目があったら混乱してしまうだろうけど、ほぼ360度の視界をもっている動物というのは確かいたはず。二つないしそれ以上の肉体を知覚し操れる意識とかあっても、想定としては可能なはず [http://twitter.com/sakstyle/statuses/879239397]
  • SuzuTamaki: @sakstyle ポールの話は他者の恐怖とはちょっと違う。実は同じだけど。ポールの話の恐怖は、主観的未来としての意志のはなし。何をすべきか、ということが常に問われる。選択を間違えれば不幸になりうるという自明なことを確認させられる恐怖。 *Tw* [http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/879239985]
  • SuzuTamaki: それは言い換えれば客観的未来という他者の恐怖。主観的未来におけるわたしの状態と客観的未来におけるわたしの状態とがずれてしまうことが不幸?そこまで言っていいのかな…それが恐怖。 *Tw* [http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/879240885]
  • SuzuTamaki: @sakstyle 想定は可能。想像はできないけれど(これは言葉遊び)。しかしどう想定してみてもわたしはわたし。視界は他者。他者がどれだけたくさんいたってかまわないけれど――実際にいるし――わたしが二つになるってどういうこと? *Tw* [http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/879242328]
  • SuzuTamaki: たとえば視界は二つにも三つにも四つにも500個にもなりうるでしょう。しかしそもそも視界と主観とは異なる(のではないか、と Suzu くんは思っている)。 *Tw* [http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/879242676]
  • SuzuTamaki: 「わたしが二つになることを想定してみればいいのですよ」しかしそれはどういうこと? 三次元空間にクラインの壷を作れ、といわれている気分。というのはいくらなんでも戯言か。 *Tw* [http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/879244668]
  • SuzuTamaki: いい比喩が思い浮かばなかったからクラインの壺って出してみたけれどもあまりにも不真面目すぎますね。しかし比喩というのはすでに間違っているわけで…わたしはわたし。二つは他者。果たしてこれが常識的感覚に囚われているがゆえの誤謬なのか。 *Tw* [http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/879245311]
  • sakstyle: @SuzuTamaki のエントリは、私が分裂しちゃって他者になっちゃうのが怖い、といっているのだと思うのだけど、分裂しても私は「1つ」のままかもしれないじゃん、そしたら怖くないじゃん、ということを言っているつもり [http://twitter.com/sakstyle/statuses/879245617]
  • SuzuTamaki: @sakstyle うん。そこが sak さんの誤解している部分だし、わたしがうまく伝えられていない部分なんですけれど、他者が不幸になろうがどうでもいいんですよ。わたしが不幸になることが怖いのです。 *Tw* [http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/879246485]
  • SuzuTamaki: スイッチを押すことでわたしは不幸になりうる。よく考えればそれは、スイッチなんていう比喩を出さなくたって自明のこと。だけど、わたしたちは実際に日々を生きているあいだ、ときに選択が常に存在することを忘れてしまっている。 *Tw* [http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/879246936]
  • SuzuTamaki: スイッチの存在、可能性としての不幸なわたしを想定することで選択の失敗の恐怖が呼び起こされる。それがポール・ダラムの(物語直前の)恐怖の正体です。 *Tw* [http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/879247452]
  • SuzuTamaki: 分裂が怖いんじゃない。不幸になることが怖い。 *Tw* [http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/879247884]
  • sakstyle: @SuzuTamaki うーん、それは分かってるつもりなんだけどなー。つまり、スイッチを押すことが分岐であり分裂であるならば、不幸になるけど、分裂じゃなかったら、その不幸を恐怖する必要はなくないか、ということ [http://twitter.com/sakstyle/statuses/879248328]
  • SuzuTamaki: 結局何が言いたいのかというと、過去は決定論的だけれど未来は不確実だから、過去の不幸の受け入れが何もしないことを許容するわけではないという、運命論における困難克服のための道を作ろうとしているわけです。 *Tw* [http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/879248516]
  • SuzuTamaki: @sakstyle つまり未来は決定している、ゆえに選択を恐れる必要はない、ということですか? そうだとしたら私の立場とは確かに対立しますね。わたしは未来は決定していない、ゆえに選択(分裂)は恐怖だし、同時に不可避である、と主張する立場なので *Tw* [http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/879250079]
  • sakstyle: @SuzuTamaki 不幸になることが怖いの? あーそうなのかー。それって、パーフィットとかイーガンとか、別に持ち出さなくてもよくない? まあ、イーガンは多少ありなんだけどー、うーん。ちょっと例がよくないんじゃないかなあ。なんか、拍子抜けしてしまったんだけど [http://twitter.com/sakstyle/statuses/879250346]
  • SuzuTamaki: じっさい、順列都市における(あるいはパーフィットの思考実験における)スイッチの比喩は運命論における困難克服のための理論においては回り道に過ぎないので最終的には今回のエントリは理論としては組み込まれません。 *Tw* [http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/879250795]
  • SuzuTamaki: どちらかというと今回のは『順列都市』読解、という形式で出したつもりです。 *Tw* [http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/879250965]
  • SuzuTamaki: @sakstyle いやー、実際そうなんですよwwww すでにポストしたけれど、回り道なんですよwww *Tw* [http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/879251324]
  • SuzuTamaki: しかし私が『順列都市』を読んだときに感じた恐怖はまさにそれだった。私にとって作品論とは、作品を読んで覚えた感情の在り処を探し出す、ということなので、その目的に嘘はつけない。 *Tw* [http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/879251846]
  • sakstyle: @SuzuTamaki 決定論とか自由意思とかの話なのか。今回は、その手の話題については全く考えていなかったので、突然それをふられても、準備してないので答えられませんって気分です [http://twitter.com/sakstyle/statuses/879251930]
  • SuzuTamaki: 結果、『順列都市』に覚えた恐怖というのは、隠されていた実に単純な一般的な恐怖に過ぎなかった。 *Tw* [http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/879252958]
  • SuzuTamaki: もしかしたらそれは、『順列都市』(あるいはパーフィットの思考実験)のような形で提示されなければ意識されえないものかとも思うのだけれど、そうじゃない可能性もあるので今はまだ回り道というしかない。 *Tw* [http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/879252988]
  • sakstyle: @SuzuTamaki まあ、イーガンは、大体どの話を読んでも、その話題になってくるから、間違っちゃいないと思うよ。俺の黄色い本もそういうこと書いたし [http://twitter.com/sakstyle/statuses/879253292]
  • SuzuTamaki: @sakstyle いやー、本当、申し訳ないっスよ。なんか、自分の趣味の世界っていうか、自分の中の実存との格闘の中の世界に不用意に sak さんを釣り上げてしまった幹事で。 *Tw* [http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/879253744]
  • SuzuTamaki: 「同一性の話はどうでもいい」と繰り返し述べたのはそういう意味だったのだけれど、しかしまあ、明らかに釣りだったかなあ。犯罪だよなあ。 *Tw* [http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/879255411]
  • sakstyle: @SuzuTamaki 別に申し訳なく思う必要はないんだけどねー。可能性とかの話になるから、様相論理とか可能世界とか、多少は面白いかもよ。全然つまらないかもしれないけど [http://twitter.com/sakstyle/statuses/879261283]
  • sakstyle: @SuzuTamaki 決定論と選択と未来への恐怖って、確かにひどく絡まり合ってるように見えるのだけど、それらが「ゆえに」で繋がるような関係なのかどうか、そこらへんで僕はとどまっています。 [http://twitter.com/sakstyle/statuses/879271456]
  • sakstyle: @SuzuTamaki 僕は、物理学的な決定論というのは正しいと思っているけれど、だから怖くないとかいうことはないし、決定していないから怖いということもない。未来が決まっているかどうかと、不幸を恐怖するかどうかは、僕の中では繋がらない [http://twitter.com/sakstyle/statuses/879274232]
  • sakstyle: @SuzuTamaki 自分が何に興味があるか、ということを述べるのであれば、意思的な選択による恐怖をどう克服するか、ではなくて、そもそも意志的な選択とは何か、ということ [http://twitter.com/sakstyle/statuses/879275399]
  • SuzuTamaki: @sakstyle 決定論には自由(選択)がないといわれるけれど果たしてそうなのか。実は自由(選択)はあるのではないか、という問いです。『〈自由〉の条件』と基本的には同じ問い。決定論の中でも、責任ある決定を求める。具体的には、自殺をどう止めるか、とかね。 *Tw* [http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/879275602]
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